YURI’S THERAPY ROOM

セラピストYURIがお届けする愛と癒しのスピリチュアル・メッセージ&どうってことないひとりごと

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この世の中には しなければいけないことなんて ひとつもない。。。

「世の中には してはいけないこともなければ
  しなければいけないこともない」

これはわたしの親友が出会った頃によく言っていた言葉です。

今はその通りだと心から思えるのですが
その当時のわたしにはそれを理解することができなかったのでした。

先日 久しぶりにやや早めの夕方に電車に乗ったら
わたしの乗った車両には立ってる人が5、6人という感じでした。

そこに一人の足の悪そうなおばあさんが
大きい紙袋を持って乗ってきて 端の席の近くに立ちました。

その空きぐあいから おばあさんがとても目立っていたのだけれど
その前に座っていた20代のカップルも 
その並びの人もすべて
向かい側の席に並んでいる人たちも
おばあさんを見たけれど だ~~れも席を譲りませんでした。

わたしはちょっと「え?」と思って
それほどまでにみんな心や体が疲れているということに
「お~~い、大丈夫~?」って危機感を感じてしまいました。


でも今日は「席を譲りましょう」というお話ではないのです。

「お年寄りや体の不自由な人には席を譲らなければならない」
かつて わたしはそう思いこんでいました。

ですので お年寄りが乗ってきたら どんなにへとへとに疲れていても席を譲ったし 
お年寄りが前に立っているのに 
席を譲らないでシルバーシートに座っている男子高校生なんかを見ると
遠くの方からムカムカしたりしていたものでした。

けれども 最初に書いたような親友の言葉を聞いて 「そうなの??」と感じたことで 
わたしのガイド(内なる存在)に聞いてみたら「その通り」だという答えで 
さらには「物事を良い・悪いではなく 学び、という視点から見るように」というアドバイスだったのです。

そこで わたしはとりあえず
「席を譲らないことは悪いことではない」ということを信じてみようと思ったのです。


あるとき そのチャレンジのチャンスが来ました。

当時小田急線沿線に住んでいたわたしは
疲れていたため新宿発の電車を並んで待ち 腰かけていました。
何と発車前に わたしの前におばあさんが立ちました。
わたしは反射的に席を譲る前に 自分にこう聞きました。
「今本当に席を譲りたいのか?それとも譲るべきだと考えて 無理して譲ろうとしているのか?」と。

わたしは本心では「ん~~席を立ちたくないな~~」と思っていました。
その時のわたしの身体や心の状態は 座っていたい気持ちが勝っていたのです。

わたしはおばあさんの視線を感じながら「譲らなければ!」という焦りのような気持ちを抑えて 
自分の気持ちを見つめ続けました。

その結果 わたしがお年寄りに席を譲っていたのは 「そうしたい」からではなく
「そうすべきだと思っていた」からだったということがわかりました。

偽善。。「人の為に善いと書いて偽善という」これも親友の言葉でした。
自分の心を偽るニセモノの善意です。

そこでわたしは 譲らないということにチャレンジしてみました。

けれども「譲るべきだ」という信念のようなものがあるため とても苦しく
 譲っちゃった方がよっぽど楽でしたが ワークだと思い、あえて我慢して座っていました。

わたしの信念はとても根深くて 車両中の人が心の中で自分を責めているように感じたのです。

そのような信念を持っていたからこそ 席を譲らない人に対して 
自分の中にそのような人を責める気持ちがあったのだとわかりました。

自分の駅まで座って 駅に降りたとき 何とも言えない解放感が拡がるのを感じました。
それはわたしを縛り付けていた「信念」が解除された解放感でした。


それ以降 席を譲らないということは まだ1回もありませんが

「席を譲らなければならないから 譲る」のではなく
「譲っても 譲らなくてもいいけれども わたしは譲ることを選ぶ」という風に
「席を譲る」という行為が 初めて主体的なわたしの意志による選択となったのです。

そう思ったら どんな人を見ても腹が立つということがなくなりました。
しかも不思議なことに 疲れる、ということがなくなってきたのです。

他のすべてにおいても言えることだと思います。

ひとは自分に許してあげることのできないことを
他人に許すことはできません。

「時間に遅れてはならない」と思っている人は
時間に遅れることを自分に許していないわけですから 他人の遅刻も許せないと思います。

もちろん 遅れないことは遅れることよりずっとよいことに決まっているのですが 
問題なのは「そうであるべきだ」と思っていると そうでない人に対して 
かつてもわたしのように怒りや不満の気持ちを抱きやすいということです。

そういう状態の時 ひとはとても疲れやすくなってしまいます。
身体はいつも緊張状態 交感神経優位になってしまうからです。


「なにをしてもいいなら 秩序はどうなるの?」
「世の中が悪くなってしまうのでは?」

こんな疑問はもっともですが わたしは心配ないと思うのです。

なぜなら 「~べきだ」と思ってしていた時より 「そうしたいからする」今の方が 
ずっと気持がいいし
進んでそうしたいと感じるからです。

それは「喜び」の感覚です。
「そうすべきだ」と思っていた時には「喜び」はありませんでした。

そして人は「喜び」に自然と向かうものだと思います。


わたしたちはあらゆることをしてもしなくてもいい自由を 創造主(宇宙)から与えられていると思います。

完全な自由意志による選択ができ どのような選択からも学ぶチャンスがあるのだということ。

それは本当に素晴らしい恵みだと感じたことでした。


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