YURI’S THERAPY ROOM

セラピストYURIがお届けする愛と癒しのスピリチュアル・メッセージ&どうってことないひとりごと

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過去世から持ち越した信念

もう10年以上も前のことになりますが
自分に過古世退行のための催眠を誘導したことがあります。

過去世の記憶にアクセスすることというのは 
基本的には子供時代の記憶にアクセスするのと同じことです。

潜在意識にはどの時制の記録も全部詰め込まれています。

          ********

アジア大陸のどこかの王制がしかれている小さな国
私は折れそうなほど細くて 肌が病的なほど真っ白な王の愛妾だった。
王はどんな時も私を膝に抱いている。(わたしはすごく小さいので)
私は愛される事にしか関心がない。

美しさを失なったらもう愛されないに違いないと固く信じている。
彼女にとって美しい事は 生きる事だ。

王の事をそれほど深く愛している訳ではない。
というより「愛する」ということがどういうことなのかわたしは知らないのだ。
(ということを 現世のわたしは客観的に眺めています)

次のシーンであっさりと私は病死してしまった。

王は私をかき抱き嘆き悲しんでいる。
私は肉体を離れつつ
「なぜそんなに悲しむの?愛するってどういうことなの?」とクールに思った。
そこまで人を愛せた王の事が羨ましいような 他人事のような変な感じがした。
(王の気持ちも自分で体験しているのと同様に感じることができます)

この前世を思い出した事で 私は一つの強迫観念から開放された。

それは「美しくなければ愛されない」というものだ。

もちろん現世でのわたしは特別美しくも何ともないのだが 
10年前まで実はこの観念に縛られていた。
特別美しくないのにこのような信念を持っていたのだから 当然苦しかった。

小学生の頃からすこしでもきれいになるために涙ぐましい努力をしたし、
男性とデートする年頃になると どう見えるかが気になってありのままでいられなかったりした。
当然デートも楽しめない。好きな人なのに長く一緒にいると疲れてしまうのである。
男性に対してだけじゃなく女性に対してもだった。

前世でそれにより生きていたので
美しい事だけが自分の価値だと思い込んでしまったその記憶による信念のせいなのだ。
年齢が進むにつれ、老化現象はオーバーじゃなくって 本当に死ぬほどの恐怖だった。
もう生きていけない・・という感じ。

「美しくなければ愛されない」「美しくなければ生き伸びれない」という過去の信念は 
今生で「美しくないから愛されない」「美しくないから生き伸びれない」という信念に形を変えて
わたしを支配していたのである。

ところが何故かこの前世を思い出した頃から 気にならなくなった。
おそらく王が過去世のわたしを愛していたのは 
美しいからだけだったのではないという当たり前のことに気付いたからでしょう。


潜在意識は自分が生き延びるために必要だと感じた情報を記憶します。
その記憶は予測としてわたしたちの人生を支配します。

たとえば 酷い裏切りにあって非業の死を遂げた過去の強い記憶が潜在意識に残っている人の場合
(おそらく死後の次元で完全にそれを昇華できなかったということでしょう)
誰かを信じたら 自分が恐ろしい目にあうのではないかという予測を
潜在意識の中に持ち続けていることになります。
潜在意識の中なので自分ではっきりと自覚はできず 何となくそういう感覚にとらわれています。

厄介なのは誰かを信じそうになると 潜在意識の予測機能が発動する、ということです。
信じそうになると 突然不安や恐怖が襲ってきて その感覚は生存恐怖を伴います。
なぜならば以前それで命を落としたことがあり 
潜在意識は同じ目に合わないように自分を守ろうとするからです。

この場合だと「誰かを信じたら 裏切られる」 
あるいは「誰かを信じたら 危険な目にあう」という信念がその人を強く支配しています。

それは 今回の人生を制限し 自分を苦しめるものとなるため 気づき 手放す必要があるわけですね。

ですが 過去世の記憶をいちいち掘りだそうとする必要は全くありません。
それは全く意味がありません。きりもありません。
潜在意識は整理しないデータフォルダのようなものでゴミのような記憶も全部とりあえず保存してあるからです。

自分の人生に繰り返す不本意なパターンに気付いて それを変えようと決心すると
その部分に直面せざるを得なくなります。

そのようになった時に どうしてもその信念を崩すことができない場合にのみ 
このような過去の記憶へのフォーカスが役に立つことがあるというだけです。


お伝えしたいことは 信念とは このように体験(記憶)によって 簡単に作られてしまうものだということ。

そのような信念に わたしたちは知らず知らずコントロールされているのだということを
わたしたちは知っておく必要があるのではないかということです。

参考記事→ヒプノセッション


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