YURI’S THERAPY ROOM

セラピストYURIがお届けする愛と癒しのスピリチュアル・メッセージ&どうってことないひとりごと

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期待されると嬉しいですか?

突然ですが みなさんは
誰かから期待されると嬉しいですか?

「期待」っていう言葉から感じるものは人それぞれだと思います。

わたしの場合
「期待=要求」
と感じてしまうため 
期待されるのは好きじゃありません。

でも
「期待=評価」
と感じる人にとっては
やりがいや 情熱を感じる元かもしれません。

でもたとえば 仕事などで
上司から成果に期待されればやりがいを感じるけれど
恋愛などで「こうであってほしい」などと期待されたら 
「窮屈さ」を感じてちょっと嫌かもしれません。

まぁ、こんなふうに感情や評価というものは
自分の立場によってころころ変わるものですね。
きわめて主観的なものであるということです。


ここまでは期待される側からの視点ですが
では「自分が期待するとき」をちょっと考えてみましょう。

自分が何かを 誰かに期待するとき
それは「自分の気持ちを満たしたい」という気持ちが
元になっています。

たとえば ひいきの野球チームのスター選手に期待するのは
そのチームが勝つことで「自分がいい気持ちになりたい」からであり

子供に良い成績を期待する親は
そのことで「自分が満足感を得たい」からです。

恋人に誠実であることを期待するのは
「自分が安心したいから」です。

こんなふうに考えれば
期待という感情は 
極めてエゴイスティックなものだということがわかります。

ですから 誰かの期待に応えようと
がんばる必要は一切全くありません。

勝手に期待しているのですから。


応援と期待は 似ていますが
全く違うものだと思います。

期待が 自分のための行為であるのに対し
応援は 相手のための行為です。

期待を満たしてもらえないと
「裏切られた」などと表現されますが
それこそ その期待、というものが
自分のためのものだったからに他なりません。

相手は 他の誰かの「こうあってほしい」という期待を満たすために存在しているわけではないからです。

でも世の中の人間関係のトラブルには
この期待→裏切られた、というものが なんだか多いように思います。

誰かに対し「**が~~であってくれたら嬉しいな」と思うことは
全く悪いことだとは思いませんが
それが個人的な 自分の願望だということに
気が付いている必要があると思います。

そういう時には
相手がそれを満たすことがなくても
自分は平和でHAPPYのままでいられるからです。


この応援とは信頼 と言い変えてもいいと思います。

「信頼」
なんて素敵な言葉でしょう!

誰だって
「あなたのこと 信じているよ」
そう言われたなら 嬉しくなって勇気が出るにきまっています。

上司から仕事の成果を期待されて嬉しく感じるのは
「自分は上司から信頼されている」
と感じるためではないでしょうか?

この自分が信頼されている、という感覚は
自分が何かの成果を出す、というような
自分のすることに対する評価ではなく
たとえ失敗したり 躓いたりしたととしても 
「君は大丈夫 きっとそこから学んで良い方に向かうことができる」
「今はできなくても きっといつかできるようになる」
というような 存在そのものに対する評価です。

この信頼というものが どれほどまでに
わたしたちに力を与えてくれるのか
経験したことのある人は ご存知でしょう。
信頼は その人の可能性を信じることです。

今現在の 状況やできること したことをみて判断するのではなく
その人の未来の最も素晴らしい姿をみて 
必ずそうなるのだと信じ それを見守ることです。

両親が 子供の現在の姿をジャッジするのではなく

「その状況から 必ず何かを学んでいるのだ」

と信じてあげることができたなら
どんなに道を外れているように見えたとしても
その子は きっとそのことから学ぶことができるでしょう。

それは生きている学びです。
体験ほど身につく学びはないでしょう。

セラピストとしてこのお仕事を始める時
ガイド から教わったのも
この姿勢が一番大切なことだということでした。

どんなに問題を抱えているように見え 本人がそのように信じていても
それは本当のその人の姿ではないこと。
その人の真の姿は完全であるということ。
そのことを 思い出すためには 
それを信頼してあげる人が必要なのだと教わったのです。

自分のしたことの何が この人の変容のきっかけになったのだろう?
そう考えるときにはいつも
この「信頼」することのパワーを感じるのです。

わたしたちは三日月を観ても
それが月の本当の姿かたちであるとは思いません。

月は本当はまんまるで
地球の影によって
まあるい部分を隠しているので
そんな風に見えているのだということをわたしたちは知っています。

知っている、ということは 信じている、よりもっと強いことです。
そこには疑いの余地はありません。

月とわたしたちも 全く同じなのだそうです。
どんなに欠点や 足りないところがあるように見えても
それはわたしたちの本当の姿ではありません。

新月の前には
月はほとんどその姿を 地球の影によって覆われ
ほんの細い姿しか現れません。

でも今そう見えているだけで
それは真の姿ではないことをみんな知っているから
「ダメだよ。そんな姿じゃ」
なんていいませんよね?

真の姿になるために 何か努力する必要もないのです。

本当の姿が完全であることを
自分も知っていて 他の誰もが知っているなら
今どのような状態にあろうと
そんなことは気にしなくていいのではないでしょうか?

月はその時期により 満ちたり欠けたりを繰り返していますが
わたしたちにもその時の状態というものがあります。

でもどんなときにも 自分の真の姿は完全であることを
知っていることができたなら
あわてたり 焦ったりする必要もなくなりますね。

影になっているものは何かな?
と見てみるだけでいいのではないでしょうか?

そしてほかの誰かの中にも
今見えていないだけで
完全な姿を見ることができるようになるのです。

自分でそれを信じることができない時
他の誰かがそれを信じ続けてくれたら
自分もそれを信じることができるようになります。

もし あなたが
誰かの中に完全な姿を見続けてあげることができたら
その信頼は その人の中に形を取ります。

それはあなたができる最大の奉仕ではないかと思うのです。




Comment

こんばんは(^-^*) 

考えさせられました!
自分に対しても 相手に対しても。“エゴ”知らず知らずの内に 押し付けたり 押し付けられたり しちゃってたのかな…。

応援 信頼 いい言葉ですねo(^-^)o自分にも他人にも、そんな姿勢で向き合って行きたいです。。
(*^o^*)
  • posted by ゆうと 
  • URL 
  • 2010.04/13 21:10分 
  • [Edit]

コメントありがとうございます。 

ゆうとさん こんばんは。
ひとは基本的に自分の気持ちを満たすことを求めて生きているのだと思います。
それは全然悪いことじゃないと思います。
でもそのことに気が付いていることができたら いろんな混乱とか葛藤が少なくなるのではないかな、って思うのです。
期待はプレッシャーを伴うけど 応援とか信頼は気持ちいいですよね!
  • posted by YURI 
  • URL 
  • 2010.04/14 02:42分 
  • [Edit]

忙しそうですね(⌒~⌒) 

blogの更新、楽しみに待ってます!(b^ー°)
  • posted by ゆうと 
  • URL 
  • 2010.04/26 20:22分 
  • [Edit]

NoTitle 

ゆうとさん ありがとう~

書きたいことがどんどん湧いてくるのですが
少しまとめてからこちらのブログに書きますね。
もうひとつのブログにも来てくださいね。今日更新しました。
http://ameblo.jp/yokohama-lilybell/entry-10520106278.html#main
  • posted by YURI 
  • URL 
  • 2010.04/28 20:53分 
  • [Edit]

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